カテゴリ: 院長ブログ

<院長の子育て日記>不安な未来は存在しない。

 

先月、診察室で小学校1年生の男の子と話していた時のことです。

その子は今度2年生になるのですが、

2年生になったら勉強が難しくなることが心配なのだそうです。

 

「2年生になったら勉強が難しくなるのが心配で心配で、

心配でいっぱいになっちゃって

勉強できないんだよ。」

と言うのです。

『え〜、心配してる間に勉強してよ〜』と私は思ったのですが、

本人は「心配すぎて勉強できない〜!」と繰り返しているわけです。

 

でも、「不安」というのはこういうものだと思います。

「不安な未来」というのは自分の心で想像しているモノであって、

本当は存在しないモノです。

本当は存在しない自分の想像に対して

クヨクヨしすぎたり、ビクビクしすぎたりするのは

ちょっとおかしいですよね。

「勉強が難しくなるのが心配だから、ちょっと予習してみよう」とか

建設的な行動になるなら良いのですが、

「心配すぎて何も手がつかない」ってなるぐらいなら

何も心配しない方がマシなわけです。

「不安な未来」は存在しない。

それはただの、自分の想像。

 

自分の「死」もただの想像。
「人間は死んだらどうなるの?」と何度か子どもに聞かれたことがあります。

カラダがどうなるかではなくて、

ココロがどうなるかを心配しているのかなと思います。

もちろん私も知りません。

ココロは天国や地獄に行くのか?

幽霊になってこの世をさまようのか?

何かに生まれ変わるのか?(最近は、異世界に生まれ変わる物語が流行っているようですね。)

宗教を信仰している方ならば、死後にココロがどうなるのか決まっているのでしょう。
その子は、「自分がいなくなるのが怖い、ココロが無くなるのが怖い」と思っているのかもしれません。

でも、もしも自分のココロがなくなって何も考えられなくなるのなら、

自分が死んだことは自分には分からないのですから、特に心配する必要はなさそうです。
自分が死んだことは自分には分からない、ならば

自分の死もただの想像でしかないのかもしれません。

<院長の子育て日記>子どもは自然、カラダも自然。

子育ては植物を育てるのに似ている、と言われることがあります。

人間も「生き物」ですから、

子育ては「自然」を相手にする行いですね。

 

現代人は「自然」を相手にすることが減っているので、

子育てに難しさを感じることが多いかもしれませんね。

 

「自然」は簡単には人間の思うようになりません。

ゲームのように「こうしたら、こうなる」という決まりがない。

敵と戦ったらレベルが上がって、レベル20になったらこの技を覚える、みたいな決まりがない。(ちなみに私はドラクエ大好きです。)

自然は放っておいても育つこともあるし、目を離さずに見張っていないと急にダメになってしまうこともある。

一所懸命お世話をしたつもりでも、思うように育たなかったり。

目を離したすきに大輪の花を咲かせていたり!

 

でも、それがおもしろい。

植物を育てるように、心を込めて、

観察したり、

水をやったり肥料をやったり。

社会全体が子育てを楽しめるようになれば素敵ですね。

 

カラダは自然

 

現代人は「自然」を相手にすることが減っている、と言っても

私たちのカラダは自然そのものですね。

カラダは人間が作ったモノと違って、なかなか思い通りにはなりません。

 

同じように食べたり、運動したりしても、人によって成長は様々です。

よく育つカラダもあれば、ゆっくり育つカラダもある。

丈夫なカラダもあれば、繊細なカラダもある。

何かをサボっていたから背が低いわけじゃないし、

ものすごい努力をしているから風邪をひきにくいというわけでもない。

 

でも、だから、おもしろい。

 

そして、私たちのカラダは取り替えられない。

私たちは与えられたこのカラダで生きていくしかない。

植物を育てるように、自分のカラダも育てられると良いなと思います。

よく観察してお世話をしたり、ちょっと忙しくて放っておいても

その後の変化を楽しめたり。

 

こどものカラダも人それぞれです。

丈夫なこどももいるし、繊細なこどももいる。

それは「自然」なのだから、誰かの思い通りにはなりません。

「自然」と上手に付き合って、人生を楽しめると良いですね。

 

<院長の子育て日記>特別な人は「特別になろう」と思っていない。

「特別な人間になりたい」「特別でないとダメだ」

そんな強い思いは

頑張る原動力にもなるし、

頑張れない理由にもなってしまうようです。

 

特別に優秀な人間になるために努力しているのに、

自分はそうなれないと感じたとき。

絶望してしまう子ども、

落ち込んだりイライラしたりして体調を崩してしまう子どもがいます。

途中で努力をやめてしまう子どももいます。

もし努力をしても優秀になれないのなら、、

それぐらいなら最初から努力をしないほうが良い。

そんな風に思ってしまうようです。

努力をやめればもちろん優秀な人間にはなれないけれど、

「本当はやればできる子」として言い訳できる(?)

 

良くなれないなら、「特別に悪い人間」になってしまおうという子どももいます。

とにかく「特別でないとダメだ!」と。

 

「特別になりたい」という気持ちは案外厄介なものです。

 

子どもは、親からの「特別になってほしい」という期待を感じているのか?

「特別にならないと周りに認めてもらえない」と思っているのか?

 

「特別じゃなくても良い」って、自分に自信が持てたなら、

もっと自然に努力を続けられるはずなのに、、。

 

特別な人は「特別になろう」と思っていない。

 

例えば、野球の大谷選手は、

「みんなからすごい選手と言われたい」という気持ちでがんばっているのでしょうか?

「MVPをとりたい」とか「二桁勝利したい」とか「年俸何千万ドル欲しい」とか?

 

多分、違うと思います。

「もっと強くなりたいから」がんばっているのではないでしょうか?

私は将棋の藤井竜王の方がもっと確信を持って言えるのですが、

藤井さんは「タイトル独占したい」とかいう気持ちで将棋をしていません。

「将棋が好きだから」「もっと強くなりたいから」がんばっているのだと思います。

 

「誰かから評価されたい」という理由では本当に強くはなれない。

自分の中から湧き上がる情熱が、人を強くするのだと思います。

他人の評価とか、順位とか、成績とか、

あまりそのようなことは気にせず、

自分の気持ちに従って、

情熱のおもむくままに、

子どもたちがそんな風に生きてゆけたら最高だと思います。

<院長の子育て日記>特別じゃなくても良い

一流の人は素晴らしいなと思います。

野球の大谷選手にしても、将棋の藤井竜王にしても。

特別な才能って憧れるし、見ていて気持ちが良いです。

でも、こどもは一流じゃなくても良いのです。

特別でも、普通でも良いのです。

どっちがいいとか悪いとかでなくて、

その子の存在価値は、どっちでも変わらないのです。

 

親も、そうです。

頭が良くても良くなくても、運動ができてもできなくても、ルックスが良くても良くなくても、お金持ちでもそうでなくても、

親の存在価値は変わらない。

子どもにとってはどっちでも良いのです。

親は「親」ということだけでこどもにとっては価値がある。

こどもは「こども」だということだけで親にとっては価値がある。

人はその人であるということだけで価値がある。

 

才能がある人が自信を持って生きることは、わりと容易いことではないでしょうか?

 

普通の人が自信を持って生きることの方が難しいように思えます。

普通の人が自信を持って生きるには、心にエネルギーが必要です。

自分は周りの人たちから大切にされているという実感とか、

自分は周りの人たちの役に立っているという実感とか、

自分はこれまで努力して成長してきたという実感とか、

心にエネルギーがなければ、人は頑張れません。

 

親は、こどもの心にエネルギーを注ぐことができます。

 

こどもの存在に感謝すること。

(生まれてきてくれてありがとう!)

こどもが人の役に立っているところに注目してあげること。

(お手伝いしてくれてありがとう!)

こどもががんばっている姿に注目してあげること。

(テストや試合の結果よりも、がんばった過程に注目する。)

 

親だって、頑張れない時には心のエネルギー充填が必要です。
自分のうまくいってないことには注目せず、

うまくいっていることだけに注目してみましょう。

物事をいろんな視点から見て、ポジティブに捉えましょう。

物事にはいろんな側面があるので、悪い点もあれば良い点もあります。

良い点だけに注目して、パワーチャージしてみましょう!

<院長の子育て日記>失敗は大切な経験

失敗は大切な経験だなあ、と

将棋の藤井聡太さんを見ていて思います。

(じつは藤井聡太さんの大ファンです^ ^)

 

もちろん、

藤井聡太さんはめちゃくちゃ強いので、滅多に負けないのですが、

全棋士がよってたかって打倒藤井で挑んでくるわけですから

たまには負けることがあります。

 

すると、負けた後は更に強くなります。

素人が見ても分かるぐらいパワーアップします。

まるで少年漫画の世界です。

 

プロ棋士の方々は全員が天才なのですが(天才しかなれない職業です)、

その天才達が緻密な作戦を練って藤井さんに挑んできます。

その作戦を受けてたって戦い続けているうちに、藤井さんはどんどん強くなっていきます。

なんだか、みんなで藤井さんを育てているようです。

 

藤井さんに限らず、一流の方々はおそらく失敗から学ぶ力が強いのだと思います。

 

一流の方々に限らず、誰にだって失敗はチャンスです。

だから、こどもが失敗することは大事なことだと思います。

失敗から学ぶ力をつけてあげたいですね。

<院長の子育て日記>自分で決める

「こどもが決めてもいいような事はこどもに決めさせる」というのはどうでしょうか?

 

たとえ小さなこどもでも、自分で決める練習をさせるのです。

 

例えば今日何を着るか?

今日着る洋服をこどもに選ばせる。

そうすると、親には考えられないようなとんでもないコーディネートが出来上がるかもしれません。

また、失敗することもあるかもしれません。「この格好じゃ寒いな」とか。

でも、失敗しても良いのです。失敗は大事な経験です。

重大な事故にならないような失敗なら良いのです。

 

ちなみにうちの息子は、自分で選ばせていたらとても薄着でした。

冬でも半袖短パン、みたいな。(昔は結構いましたよね)

「もっとセーターとか着た方がいいんじゃないの?」ときいても、

「これがいい」と、冬でも薄着を選ぶので、

「あ、そう。」とそのままにしていました。

それでも小学校はほぼ皆勤賞でしたので、それで良かったようです。

 

ちなみに、彼は現在高校生。

基本的に家では一年中半袖短パンです。

ただし、夏以外の外出時には長いパンツに履き替えます。

春秋は薄手のパーカを羽織ります。

冬は中にセーターも着ます。

洋服は同じものを複数持っていて、コーディネートは考えないスタイル(!)

自分なりの合理的なファッション、、、のようです。